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浜松オートバイ列伝関連年表


浜松オートバイ列伝
 ■ 本田技研工業株式会社
■ 丸正自動車製造株式会社
■ スズキ株式会社
■ ヤマハ発動機株式会社

■ 浜松市の主な出来事


1930年代まで

西暦元号出来事
1897年明治30年山葉寅楠が日本楽器製造を設立する
1909年10月明治42年創業者鈴木道雄により鈴木式織機製作所として浜松で創業する
1911年明治44年浜松市制施行、人口三万六千七百八十二人
1920年3月大正9年鈴木式織機株式会社として改組設立し、鈴木道雄が社長に就任する
1923年大正12年浜松高等工業学校(静大工学部)開校する
1926年大正15年高柳健次郎テレビジョン実験成功する
1928年4月昭和3年本田宗一郎が元浜町にアート商会浜松支店を設立する
1929年昭和4年伊藤正、本田宗一郎経営の浜松アート商会に入社、自動車修理を経験する
1930年8月昭和5年イギリス製オースチン・セブンを範として自動車の試作を開始する
1931年昭和6年全国産業博覧会開催する
1937年昭和12年松菱百貨店開店する
1938年昭和13年伊藤正、兄とともに浜松市野口町において株式会社丸正商会を設立、自動車修理工場開業する
1939年9月昭和14年浜松郊外の可美村高塚300番地に新工場を新設、後の本社工場となる

1940年代
1940年昭和15年国鉄二俣線が開通する
1941年昭和16年太平洋戦争始まる
1943年昭和18年静岡銀行設立される
1943年昭和18年遠州鉄道株式会社創立する
1945年昭和20年浜松大空襲と艦砲射撃を受ける、終戦を迎える
1946年昭和21年浜松市上池川町22番地に移転、自動車修理販売及びトラックボデーの製作を開始する
1946年10月昭和21年本田宗一郎が内燃機関、内燃車両の製造工作法の研究を目的として静岡県浜松市山下町30に本田技術研究所を開設する
1947年昭和22年戦災復興都市計画事業始まる
1947年5月昭和22年本社を現在地に移転、1949年1月に東京妬新橋5‐1に出張所を開設する
1947年11月昭和22年自転車用エンジンホンダA型50cc生産開始し、一部ダイキャスト化する
1948年2月昭和23年浜松市野口町584番地にエンジン組立工場を建設する
1948年5月昭和23年社名を丸正自動車製造株式会社と改称し、チャンネルフレームに自動変速機構のML型150ccの試作に成功する
1948年9月昭和23年本田技術研究所を継承して資本金100万円をもって浜松市板屋町に本田技研工業株式会社を設立する
1949年昭和24年古橋廣之進全米水泳選手権で世界記録
1949年8月昭和24年軽自動二輪車2サイクル100cc「ドリーム号D型」の生産を開始する
1949年10月昭和24年ホンダC型90cc多摩川の第1回日米対抗レースにて軽発クラス優勝する

                                                 
1950年代

1950年昭和25年こども博覧会が開催され、市立動物園開園する
1950年3月昭和25年営業所を東京に設置、9月東京都北区上十条に東京工場を設置する
1951年3月昭和26年ML型の生産を開始、チエンのないオートバイ「ライラック号」が誕生、業務を二輪車製造に切替え、社名も丸正自動車製造株式会社と改称する
1951年7月昭和26年ドリームE型試作車完成、箱根試走にて平均70km/hの好成績
1951年10月昭和26年4サイクル150cc「ドリームE型」の生産を開始する
1951年11月昭和26年繊維業界不況で自転車用小型エンジンの試作に成功、アトム号と命名する
1952年昭和27年市役所新庁舎が落成(元城町)する
1952年4月昭和27年パワーフリー号36cc完成し、5月の浜松凧上げまつりパレードに参加する
1952年11月昭和27年静岡県浜松市森田町413番地の工場を買収、増産体制を確立する
1953年1月昭和28年本社を東京都中央区愼町2丁目,後の八重洲5の5、現2丁目移転する
1953年3月昭和28年2サイクル60ccのダイヤモンドフリー号発売,月産6000台に達する
1953年3月昭和28年自転車補助エンジン「カブ号F型」試作完成する
1953年3月昭和28年販売網拡張のため本社を浜松より東京都中央区日本橋通3丁目に移転する
1953年4月昭和28年埼玉県北足立郡大和町に埼玉製作所白子工場を完成する
1953年4月昭和28年独創性あふれるデザインのベビーライラック号JF型90cc発表会開催する
1953年6月昭和28年原動機付自転車「ベンリイ号J」の生産を開始する
1953年7月昭和28年第1回富士登山レースにダイヤモンドフリー号がクラス優勝する
1953年7月昭和28年名古屋及び福岡に支店を開設、11月中央区八重洲に本社分室を増設する
1953年10月昭和28年ダイヤモンドフリー号、札幌‐鹿児島間日本縦断(18日間で完走)する
1953年11昭和28年日本楽器製造株式会社社長川上源一、戦時中プロペラ製造の優秀なる工作機械や技術者を活用する目的をもってオートバイの生産を計画する
1954年2月昭和29年大坂支店を新設して強力な販売網を確立する
1954年3月昭和29年ブラジル・サンパウロ国際オートレースにてドリーム号完走、マン島TTレースに出場を宣言する
1954年3月昭和29年本格的ダブルクレードルフレームの250cc軽2輪車KH型を発売する
1954年4月昭和29年大型スクーター「ジュノオ号K型」の生産を開始する
1954年4月昭和29年浜松市葵町に浜松製作所葵工場を完成、埼玉製作所業務の一部を移管する
1954年4月昭和29年わが国初のセル付水平対向SV350ccのライラック・ドラゴン発表する
1954年5月昭和29年本格的な二輪車完成車としてコレダ号CO型4サイクル90ccを発表する
1954年6月昭和29年鈴木自動車工業株式会社と社名変更する
1954年7月昭和29年第2回富士登山レースにコレダ号がバイクモータークラスで優勝する
1955年1月昭和30年浜北町の日本楽器製造中条、後の浜名工場にてヤマハ125量産第一号車完成する
1955年3月昭和30年125ccコレダ号を2サイクル車ST・サイクル車COXの2車種を発売する
1955年6月昭和30年軽二輪車ヤマハ130・YB1型の製造販売を開始する
1955年7月昭和30年日本楽器より独立し、ヤマハ発動機株式会社を設立する
1955年7月昭和30年第3回富士登山レースにおいて125ccクラスを完全制覇する
1955年9月昭和30年二輪車生産台数において国内第1位となる(日本全体で世界第5位)
1955年11月昭和30年第1回全日本オートバイ耐久ロードレースで2クラスメーカー賞受賞
1955年11月昭和30年第1回浅間火山レースにおいて125ccクラス1-3位を独占する
1955年11月昭和30年第1回全日本オートバイ耐久ロードレース250ccクラスにて優勝
1956年昭和31年浜松オートレース場開設
1956年3月昭和31年軽2輪車「ホンダ号EJ型」の生産を開始する
1956年3月昭和31年ヤマハ175・YC1型を製造、販売を開始する
1956年7月昭和31年豪華スタイルの2サイクルツイン250ccコレダ号TT型を発表する
1956年7月昭和31年第4回富士登山レースにおいて125・250ccクラスを上位独占する
1956年10月昭和31年浜松市八幡町の日本楽器製造八幡工場の一部を借用して浜松研究所を設置する
1957年昭和32年第12回国民体育大会開催
1957年5月昭和32年軽二輪車ヤマハ250・YD1型を製造販売、月産1,500台に至る
1957年6月昭和32年埼玉製白子工場内に技術研究所設置、設計及び技術研究の充実を計る
1957年7月昭和32年自動二輪車ヤマハ260・YE1型を製造販売、月産1,500台に至る
1957年7月昭和32年東京・中央区宝町2丁目に丸正ビル落成,本社を移転する
1957年9月昭和32年4サイクルSOHC2気筒250cc「ドリームC70型」の生産を開始する
1957年10月昭和32年第2回浅間火山レースにおいて125・250両クラスを完全制覇する
1957年10月昭和32年第2回浅間火山レース125・250・350ccクラスに参戦する
1958年昭和33年浜松城天守閣再建
1958年3月昭和33年2サイクル90ccのニューベビーライラックDP型の発売開始する
1958年3月昭和33年イタリアンスタイルの2サイクル125ccライラックEN型の発売開始する
1958年5月昭和33年欧州スタイル採用のスズモペット・SM型2サイクル50ccを発表する
1958年5月昭和33年荒川高速テストコース設置する
1958年5月昭和33年アメリカの第8回カタリナGPレースにおいてYDSプロト6位入賞する
1958年7月昭和33年4サイクルSOHC2気筒125cc「ベンリイC90型」の生産を開始する
1958年8月昭和33年原動機付自転車「スーパーカブ号C100型」の生産を開始する
1958年8月昭和33年第1回浅間クラブマンレースにおいて125クラスを完全制覇する
1958年10月昭和33年新しい社章としてSマークを制定,製品各車に逐次採用する
1958年11月昭和33年クラブマンレーサーとしてホンダCB90スーパースポーツを写真公開する
1959年3月昭和34年ライナーの製造元、北川自動車工業傘下入り、後に早出工場となる
1959年4月昭和34年V型2気筒OHV250ccエンジン搭載,ライラックLS18型登場する
1959年5月昭和34年ベンリイ・スーパースポーツCB92、7月ドリームCR71の生産を開始する
1959年6月昭和34年英国マン島TTレースに初出場、メーカーチーム賞獲得
1959年6月昭和34年アメリカンホンダモーター(米国法人)をロサンゼルスに設立する
1959年7月昭和34年ヤマハスポーツ250S・YDS1型・自動二輪ヤマハ260YE2型を発表、発売
1959年8月昭和34年2サイクル2気筒125ccセル付のセルツインSBを発売
1959年8月昭和34年浅間火山レースにLS18R1型ツインキャブ工場レーサー出場する
1959年9月昭和34年伊勢湾台風
1959年9月昭和34年V型2気筒OHV250ccスポーツ、ランサーマークV・LS38型登場する
1959年10月昭和34年東京モーターショーにおいてYX20・175ccスクーターを発表する
1959年10月昭和34年V型2気筒OHV300ccスポーツ、ランサーマークV・MF39型登場する
1959年10月昭和34年V型2気筒OHV125ccスポーツ、CF40型が登場する

      
1960年代

1960年1月昭和35年2気筒250ccセル付のツインエースTA型発表、前後油圧ブレーキ採用
1960年1月昭和35年国産50ccでは最初の4段変速、セル始動のセルペットMA型を発表
1960年1月昭和35年世界GPマン島TTレースに初挑戦、全軍完走しブロンズレプリカ賞獲得
1960年2月昭和35年モノコックフレームの175ccスクーターSC1の生産を開始する
1960年3月昭和35年モノコックフレームの50ccモペットMF1の生産を開始する
1960年4月昭和35年鈴鹿製作所開設、スーパーカブの生産を移管開始
1960年4月昭和35年ホスク・クルーザーの製造元昌和製作所傘下入り、YDS-1を生産移管
1960年7月昭和35年本田技術研究所が本田技研工業より分離独立
1960年9月昭和35年50ccギア駆動エンジン搭載、ライラック・モペットAS71発表
1960年11月昭和35年「ドリームSS・CB72」「スポーツカブC110」の生産、発売を開始
1961年4月昭和36年初のロータリーディスクバルブ吸入車ヤマハ125・YA5型を発売
1961年6月昭和36年英国マン島TTレース125・250ともに1-5位独占の完全優勝
1961年6月昭和36年世界GPロードレース、マン島TTレース125・250ccクラスに初出場
1961年8月昭和36年ノックダウン方式による初めての輸出、台湾向けにおこなわれる
1961年8月昭和36年55cc「スーパーカブC105」・9月「スポーツカブC110」発売を開始
1961年10月昭和36年90度V型2気筒OHV125ccの高性能エンジン搭載車C81発売,倒産
1961年11月昭和36年第5回全日本モトクロス競技大会においてスズキ車が上位を独占する
1962年昭和37年児童会館開館
1962年3月昭和37年ロータリーディスクバルブ吸入のヤマハモペットMJ2型55ccを発売
1962年6月昭和37年英国マン島TTレース50ccクラスにおいて優勝する
1962年6月昭和37年カブレーシングCR110・ベンリイレーシングCR93発売を開始
1962年7月昭和37年和議申請成立、ホンダの下請けのかたわらアメリカ向け新型車開発
1962年9月昭和37年世界GPロード125・250・350ccでメーカー&ライダー両タイトル獲得
1962年9月昭和37年鈴鹿サーキット完成,11月第1回MFJ全日本選手権ロードレース開催
1962年9月昭和37年自動二輪車として「ドリームスーパースポーツCB77」発売を開始
1962年10月昭和37年世界GPロードレース50ccクラスのメーカー・ライダーチャンピオン獲得
1962年10月昭和37年東京モーターショーにおいて市販ロードレーサーTD‐1を発表する
1962年11月昭和37年第1回全日本ロードレース、ノービス250・350両クラスを制覇する
1963年1月昭和38年スズキスポーツ50およびスズキスポーツ80の生産を開始
1963年3月昭和38年ロータリーディスクバルブ吸入のヤマハジュニアYG1型75ccを発売
1963年5月昭和38年2サイクルエンジンの新分離潤滑方式「スズキセルミックス」発表
1963年6月昭和38年マン島TTレースで50・125cc両クラスとも上位独占優勝
1963年10月昭和38年生産再開にともない水平対向2気筒OHV500cc高性能車R92および90度V型2気筒OHV150ccのC82を発表,発売
1964年昭和39年新幹線開通
1964年1月昭和39年ヤマハジュニアYG1型,アメリカにおいて機械工学優秀賞を受賞
1964年4月昭和39年2サイクルエンジン自動潤滑方式オートルーブの開発に成功する
1964年6月昭和39年マン島TTレース50ccクラスにおいて3年連続優勝をはたす
1964年6月昭和39年社名を株式会社ライラックに変更する
1964年7月昭和39年Tボーンスタイルの軽快モデル「べンリイCS90」の発売を開始
1964年8月昭和39年世界GP50ccクラスでメーカー・ライダー選手権3連覇達成する
1964年8月昭和39年世界GPロードレース、250ccクラス初のメーカーチャンピオン獲得
1964年10月昭和39年自動二輪車としてランサーマークV・MF39型の拡大モデルM330発売
1965年4月昭和40年初のDOHC量産車「ドリームCB450」を発表、7月国内発売を開始
1965年7月昭和40年世界GP125ccクラスで3年連続してメーカー選手権を決定する
1965年8月昭和40年世界GPロードレース、250ccクラス2年連続メーカーチャンピオン
1965年10月昭和40年国産車初の6速ミッション車スズキ250T20(X6ハスラー)を投入する
1966年2月昭和41年トヨタ製スポーツカー2000GTヘヤマハの技術供与とともに生産請負
1966年7月昭和41年ペダル付の「リトルホンダP25」の発売を開始
1966年8月昭和41年アメリカ向けの新型R92、セル始動のマグナム・エレクトラを発売
1966年9月昭和41年世界GPロード50・125・250・350・500cc全5クラス完全制覇達成
1966年10月昭和41年日本GPロードレースにおいて125・250・350ccの3クラスを制覇
1966年12月昭和41年事業閉鎖、解散する
1967年2月昭和42年5速車「ベンリイSS50」、4速車「ベンリイCL50」の発売を開始
1967年3月昭和42年動物乗り物シリーズの第1弾「モンキーZ50M」の発売を開始
1967年6月昭和42年オランダ・ダッチTTレース50cc優勝,メーカー選手権を決定する
1967年6月昭和42年世界GPロードレース、マン島TTレース125ccクラス3年連続優勝
1967年8月昭和42年世界GPロードレース、125ccクラス初のメーカーチャンピオン獲得
1967年8月昭和42年世界GPロードレース125・250ccクラスメーカーチャンピオン獲得
1968年4月昭和43年初のトレールバイクヤマハDT-1・250ccを発売
1968年7月昭和43年スズキスポーツA50型、通商産業省グッドデザイン商品に選定される
1968年10月昭和43年東京モーターショーにおいて初の量産4気筒車「ドリームCB750」発表
1969年昭和44年東名高速道路が開通
1969年2月昭和44年新型スポーツ車として2サイクル空冷水平2気筒のウルフ90を発売
1969年3月昭和44年本格派のオフロードマシンとして、ハスラーTS250を発売する
1969年4月昭和44年スズキ初の本格的な自動二輪車としてT350を発売
1969年5月昭和44年「リトルホンダPC50」・モトスポーツ「ベンリイSL90」の発売を開始
1969年6月昭和44年FRP製サイドカーなどの製造元、三信工業傘下入り
1969年8月昭和44年ドリームCB750FOUR国内発売開始、ダックスシリーズの発売を開始
1969年8月昭和44年モトスポーツSL350輸出仕様車、アメリカ国内にて発売を開始
                                   
1970年代
1970年1月昭和45年ヤマハ初の4サイクルSOHCエンジン搭載車XS-1・650ccを発売
1970年7月昭和45年二輪車輸出累計において500万台を突破する
1970年11月昭和45年静岡県磐田市にオートバイ組立の磐田工場完成、稼動を開始する
1971年2月昭和46年2サイクル2気筒Tシリーズを改良したGT250・GT350・GT500を発売
1971年3月昭和46年二輪車生産累計1500万台突破、内鈴鹿製作所二輪生産1000万台を突破
1971年4月昭和46年4気筒シリーズ第2弾モデル「ドリームCB500」の発売を開始
1971年6月昭和46年タコメーター付5速車「ベンリイCB50」の発売を開始
1971年9月昭和46年水冷2サイクル3気筒エンジン搭載のスズキGT750を発売
1971年12月昭和46年空冷2サイクル3気筒エンジン搭載のスズキT380を発売
1972年2月昭和47年静岡県磐田市に本社を移転する
1972年4月昭和47年単気筒モトスポーツ車「ドリームSL250S」の発売を開始
1972年8月昭和47年4サイクル・バランサー付750ccエンジン搭載車ヤマハTX750を発売
1972年9月昭和47年2サイクル車復活、「エルシノアCR250M」モトクロッサーの発売を開始
1973年昭和48年県西部浜松医療センター開設
1973年1月昭和48年国産初のトライアラー「バイアルスTL125」の発売を開始
1973年4月昭和48年4サイクルDOHC8バルブエンジン搭載車ヤマハTX500を発売
1973年7月昭和48年製作所員設計モデルケースとして「ノーティダックスCY50」の発売を開始
1973年8月昭和48年2気筒6速車「ドリームCB250T」、9月「CB360T」の発売を開始
1973年12月昭和48年ミック・アンドリュース開発関与のヤマハトライアルTY250Jを発売
1974年1月昭和49年リアにモノクロス・サスペンション採用のモトクロッサーYZ250発売
1974年2月昭和49年各部の改善を施した「ドリームCB550」・「モンキーZ50J」の発売を開始
1974年3月昭和49年スズキ初のトライアル車RL250を発売
1974年8月昭和49年ロータリーエンジン搭載,G・ジウジアーロ・デザインのRE5を発売
1974年8月昭和49年本社を東京都渋谷区神宮前6-27-8へ移転
1974年11月昭和49年世界GPロード125・250・350・500cc出場全クラスチャンピオン獲得
1974年12月昭和49年カフェレーサー集合排気管の「ドリームCB400FOUR」の国内発売開始
1975年5月昭和50年ホンダ初の水冷水平対向4気筒車「ホンダGL1000」の輸出を開始
1976年1月昭和51年熊本製作所発足、二輪車の生産集約化をはかる
1976年2月昭和51年4サイクルSOHC単気筒のヤマハ・エンデューロXT500を発売
1976年3月昭和51年HERTチームヨーロッパ2輪耐久ロードレースにRCBで参戦開始
1976年4月昭和51年4サイクルDOHC3気筒シャフト駆動採用のヤマハGX750を発売
1976年11月昭和51年新4サイクルDOHCエンジン搭載のGSシリーズ400・550・750を発売
1977年1月昭和52年ミニ・チョッパースタイルのマメタン50を発売,米国にも輸出する
1977年3月昭和52年ソフトバイクのヤマハ・パッソルを新発売、女性組立ラインを設置
1977年11月昭和52年4サイクルDOHC4気筒1100ccの輸出専用ヤマーXSイレブンを発売
1977年12月昭和52年スズキ初のリッターバイク、輸出専用車としてGS1000を発売する
1978年3月昭和53年ファミリーバイクブームのさきがけ、50ccのユーディーミニを発売
1978年3月昭和53年アメリカ・オハイオ州に二輪車生産工場建設、79年9月稼動を開始
1978年3月昭和53年4サイクルSOHC単気筒ロードスポーツ車ヤマハSR500・400を発売
1978年6月昭和53年専用設計の軽量ロードスポーツ車RG250を発売
1978年6月昭和53年ヤマハスポーツ4車種に輸出仕様車と同様にキャストホイールを採用
1978年7月昭和53年キャストホイールを装着したGS750E・GS400E・550Eの発売を開始
1978年10月昭和53年シャフト駆動採用のスズキGS850Gを輸出向専用車として発売する
1978年11月昭和53年世界GPでヤマハYZR500に乗ったケニー・ロバーツがチャンピオン獲得
1979年昭和54年浜松市博物館開館
1979年5月昭和54年アメリカンスタイルの先駆,ヤマハスポーツXS650スペシャルを発売
1979年10月昭和54年燃費を改善する新型エンジンYICSを開発、4気筒車に採用
1978年6月昭和53年ヤマハスポーツ4車種に輸出仕様車と同様にキャストホイールを採用
1978年7月昭和53年キャストホイールを装着したGS750E・GS400E・550Eの発売を開始
1978年10月昭和53年シャフト駆動採用のスズキGS850Gを輸出向専用車として発売する
1978年11月昭和53年世界GPでヤマハYZR500に乗ったケニー・ロバーツがチャンピオン獲得
1979年昭和54年浜松市博物館開館
1979年5月昭和54年アメリカンスタイルの先駆,ヤマハスポーツXS650スペシャルを発売
1979年10月昭和54年燃費を改善する新型エンジンYICSを開発、4気筒車に採用
                                                                                                                   
※本年表は『国産二輪車物語』三樹書房・『浜松市制80周年記念誌』を参照しました。


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